障害者のミカタ〜疎外感の常態化

2019年8月27日

さきの参議院選で「れいわ新選組」から木村英子氏、船後靖彦氏、「国民民主党」から横沢高徳氏の3名が車椅子の議員として誕生しました。

所謂、富裕層や2世議員が跋扈する国会という場に、庶民であり「社会的弱者」とレッテルを貼られる障害者の方が飛び込めた事は本当に素晴らしい一歩だと思います。次の衆議院選でも、障害者やシングルマザー、中小企業のサラリーマン、貧困層、LGBTなど厳しい社会的圧力に晒される「当事者議員」が誕生する事を期待します。

認識共同体の中で議論がなされ、数の論理で物事が決まっていく。その外側にいる大多数の国民は、置き去りにされたまま苦しい生活や苦しい思いを押し付けられてきました。「当事者の気持ちは当事者にしかわからない」そして恐ろしいのは「わかったつもりの無頼漢が、当事者を無視して物事を決める事」。

世間に「ダイバーシティ」など耳障りの良い言葉ばかりは飛び交っても、昭和体質のまま時代に取り残された永田町には届きません。耳を塞ぎ、目を閉じ、口だけ開く議員には何も届かないのです。ですが当事者である議員が誕生した事で、自分達の見える場所に障害者や庶民がいる状態が作られました。もう完全なる無視はできません。この意味はとても大きいでしょう。

私も障害者です。

進行性筋ジストロフィーという病気で、28歳の時に車椅子生活になりました。大学を卒業して商社で4年と広告業界で16年程、正社員として働きました。

なので障害者に対する偏見や差別、無関心はよく理解しているつもりです。私の肌感覚として社会がまだ今程病んでいなかった頃は、攻撃的な差別というのはあまり見かけませんでした。大半の人は普通に接してくれますし、直接差別的な事を言う人も滅多にお目には掛かりませんでした。どちらかと言えば消極的差別と言うのか、「接し方がわからないから、なるべく関わらない」とか「誘うの辞めておこうかな」とかそういった「疎外感」が主だった気がします。

ところが今は、相模原の事件を見ても分かるように攻撃的差別が増えている気がします。私の妻も以前「(夫が)障害者のくせに電気自動車なんか乗って」と面と向かって言われました。

何故こうなった

これは社会に余裕や寛容さが無くなったためです。以前に比べ「将来への不安」や「経済的困窮」が膨張し、自分の事で手一杯なのです。経済的貧困化は精神的貧困化を生みます。現政権がなぜ執拗に「一億総貧困化計画」を辞めないのか、怒りすら覚えます。

「自己責任」と言う言葉が、あたかも正義であるかの様な社会にあなたは生きたいですか。「生産性」と言う言葉で切り捨てる社会が理想ですか?

人は誰しも歳を取ります。病気もします。明日怪我で障害者になるかもしれません。これのどこが「自己責任」なのでしょう?子供やペットは「生産性」が無いから社会には不必要ですか?その一方で政府は「少子化対策」などと言っています。

差別を減らす為に、政府ができる事

まずは経済を正常にする為に、直ちに緊縮財政を止め財政支出を増やす事です。貧困は人の心に悪影響を与えます。PB健全化が実体経済の何の役に立つと思っているのでしょう。

そして教育現場で、健常者が障害者と接する機会を増やす事だと思います。ハンセン病患者の方達を隔離した事を、反省し真摯に受け止めているのなら難しい事では無いはずです。

労働力人口を増加させる為に、街のバリアフリー化推進や、一体型の託児所/介護施設を国営でやっても良いのではないでしょうか。将来設計のできる正社員や公務員という働き口を安定供給するのも政治の仕事です。非正規や派遣という将来不安を煽る仕組に逃げるのではなくね。日本の時給の低さは異常です。

差別を無くす為には、まず国が大多数の国民を差別する事を辞めるべきです。一部の富裕層の為に貧困層を増やし見捨てる、そんな政治は終わりにしませんか?

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