さきの参議院選で「れいわ新選組」から木村英子氏、船後靖彦氏、「国民民主党」から横沢高徳氏の3名が車椅子の議員として誕生しました。
所謂、富裕層や2世議員が跋扈する国会という場に、庶民であり「社会的弱者」とレッテルを貼られる障害者の方が飛び込めた事は本当に素晴らしい一歩だと思います。次の衆議院選でも、障害者やシングルマザー、中小企業のサラリーマン、貧困層、LGBTなど厳しい社会的圧力に晒される「当事者議員」が誕生する事を期待します。
認識共同体の中で議論がなされ、数の論理で物事が決まっていく。その外側にいる大多数の国民は、置き去りにされたまま苦しい生活や苦しい思いを押し付けられてきました。「当事者の気持ちは当事者にしかわからない」そして恐ろしいのは「わかったつもりの無頼漢が、当事者を無視して物事を決める事」。
世間に「ダイバーシティ」など耳障りの良い言葉ばかりは飛び交っても、昭和体質のまま時代に取り残された永田町には届きません。耳を塞ぎ、目を閉じ、口だけ開く議員には何も届かないのです。ですが当事者である議員が誕生した事で、自分達の見える場所に障害者や庶民がいる状態が作られました。もう完全なる無視はできません。この意味はとても大きいでしょう。