有名な「小麦の話」というのがあります。
「自由市場においては黒人が作ったパンも、白人が作ったパンも美味しければ売れる、不味ければ売れない。つまり平等で差別がない。だから自由主義は素晴らしい。」というロジックです。
新自由主義を標榜する人々は、これを以って「自由競争の何が悪いの?差別も無いし」と主張します。
そもそも差別を所得というモノサシで測る時点で、ナンダカナーと感じるわけですが・・・。この理屈でいくと子供・老人・障害者・怪我人・病人・妊婦・失業者・貧困層などは「生産性が低く、社会のお荷物」という話に繋がっていくのです。相模原の事件でも犯人が同様の発言をしていましたよね。現政府がこのスタンスを続ける限り、この様な思想が肯定され、ネトウヨ的な病的思考の人物が量産されてしまうのです。自分が子供だった事や、将来老人になる事、怪我や病気で障害を負うかもしれない事もわからないのでしょうか・・・。
本来 人は子供時代は親・学校・地域によって守られ、大人になれば家庭・企業・地域を守り、老人になれば家族・地域・国が守っていたわけです。ところが近年は大人になっても「自分独り」養うだけで一杯一杯の人が急増しています。猛暑でも電気代を払えず孤独死する人もいます。全国に「子ども食堂」は倍増し「大人食堂」まで現れています。これらは「新自由主義」という名の下、搾取を続けた結果です。格差の拡大により、中間層のレベルが貧困層へと転落しているのです。
そもそも「新自由主義」は一部の優越的企業へ富を集中させる為のシステムです。
わかりやすい話をしましょう。
マッチョな大学生とヒョロヒョロの小学生が、同じ条件でボクシングをします。これって平等ですか?巨大資本のスーパーと個人商店はどうですか?新自由主義ではこれが平等と見做されます。
全て自由にすれば基礎体力のある方が総取りとなり、弱い方は0やマイナスとなるのです。勿論、一握りの人は基礎体力が無くとも上手くやれる人もいます。しかし多くの弱者が淘汰されて行けば、貧困層は増え格差は拡大していきます。それが行き過ぎない様に政府は「規制」や「セーフティネット」を作るのです。確かに「規制」によって参入障壁や利権が発生する弊害は有ります。しかしそもそも「利権」は規制があろうとなかろうと存在するのです、それがAにあるかBにあるかの違いでしか有りません。