先日『世界秩序構想としての「翻訳」の意義と可能性』というシンポジウムにお伺いしました。そこで「英語化は愚民化」というキャッチーな言葉に強く共感しました。「日本語教育を疎かにし英語教育に注力すれば、英語を喋れるバカを量産するに過ぎない」・・・確かに。
「グローバル社会に於いて英語は必要だ」という言説は、確かに一見尤もらしく聞こえますし、最低限の英語が必要な場面もあります。しかしそれが日本語で思考する事の代替とはなり得ません。もし日本語教育を疎かにし、その時間を英語教育に当てるとどうなるでしょう?実はこの弊害は既に出ています。
4日前の日経ビジネスに「9時10分前を理解できない若手」の記事がありました。普通「9時10分前集合」と言えば”8時50分迄に集合”の意味ですよね。ところが9時10分よりも前(つまり9時9分とか)だと認識する若者が増えているそうです。
他にも領収書の宛名「上様」がわからないとか、呼び捨てにしてしまうとか、「大変」の意味で使った「骨が折れる」を骨折と思うとか、英語の意味を調べたが日本語の意味の方がわからなかったとか、かなり深刻な状況の様です。ご興味ある方はコチラをどうぞ。