「毒を以て毒を制する」
そういう意味で「極右を抑え込む極左」として、アメリカではその暴力すら容認する人々も一定数いるそうです。その一方で極右と同様にテロ集団とされています。
翻って日本ではどうでしょう?アンティファは立憲民主党と関係が良好な様です。確かに主張は親和性が有りますね。左翼のグローバリストで、正義という大義を掲げれば手段は選ばない。
理屈の上では、彼等は「反差別」の為に存在します。つまり「差別」が小さくなれば、彼等の存在理由も小さくなります。では実際に「差別」がない世界になったら彼等は消滅するのでしょうか?いえ、無くならないでしょう。組織というのは、往往にして自己延命の行動を取ります。つまり「差別」が無くなれば、「差別」を拡大解釈し延命を図るのです。場合によっては「差別」を作り出すかもしれません。
「中庸を知る」というのは大事です。右だの左だの、この御時世に言うのも時代錯誤ですが、極端な思想は「反対方向の思想」を増長させます。
どんな思想の者同士でも、「反差別」と言う事では折り合える可能性が有ります。しかし一方的に誰かを「差別者」と見なし攻撃すれば、和解など有り得ないですよね?そう言う意味でも「反差別」は正しいですが「反差別者」は対立しか生まないのではないでしょうか。
「差別者」ではなく「差別」と向き合う・・・これが大切な気がします。