アンティファって知ってますか?
私は先日まで全く知りませんでした。何でもアメリカで台頭している極左だそうです。日本でも後追いでやってる人が沢山いる様ですね。
トランプ政権下で勢いを増している「人種差別」や「性差別」などを繰り返す「白人至上主義」や「極右」に対する反対勢力として、差別反対を旗印に台頭する攻撃的な左翼とアメリカでは認知されている様です。アンティファの方が白人至上主義より多いそうです。
どちらもイデオロギーの呪縛に囚われ、自分のイデオロギーと合わない者は攻撃するという共通点が有ります。
アンティファを知ったキッカケ・・・
先日、twitterで「高橋洋一」というワードがトレンド入りしていました。事の発端は馬淵・山本氏による「消費減税研究会」の講師に高橋洋一氏を呼んだ事でした。
高橋洋一氏はご存知の方も多いかと思いますが、大学教授でレントシーカー。嫌韓本も出し、竹中平蔵氏と共に日本をぶっ壊してきたと言われる方です。(※私、この方かなり嫌いです。)
この勉強会に対し立憲民主の石垣氏が噛み付きまして、高橋氏をレイシストだとし、その人を講師に呼ぶ事を批判し、結局不参加を選ばれたんですね。この一件で「講師として呼ぶ事の是非」で皆さんの意見が分かれ、炎上したわけです。
山本氏としては「研究会の役員会で推す声が多かったので了承した」との事で、民主的に決まった事と「あくまでも彼の経済についての知見を話して頂く場」という事で了承したそうです。
高橋氏は消費減税を推奨している事以外、逆方向の方なので私も「他の選択肢あったでしょ」と思いました。しかし一方で、財務省の「中の人」だったわけで何かしらプラスになる話も得られるかもとも思いました。
アンティファ登場
この騒動の中、山本氏を叩く書き込みが有りました。「レイシストに居場所を与えたから、山本は差別を容認する奴だ」という趣旨のものです。高橋氏に関しても同様で、酷く扱き下ろしていました。
正直、私は違和感を覚えたんですね。私も「差別」なんて無くせと思いますし、最低な行為だと思います。自分自身、差別を受けた事も有りますし・・・しかし私が嫌悪するのは「差別的行為」や「差別的思想」に対してです。差別した人間の「全て」を否定する事には違和感を感じるのです。
例えば先程の高橋氏ですが、差別的発言や嫌韓本などについては激しく責められて然るべきです。しかしだからと言って、彼の大蔵省での経験や知見にも耳を貸してはいけないというのは飛躍し過ぎでは無いでしょうか?
そのアンティファの方に「差別的な発言をしたからその人の話を一切聞くな、というのは差別ではないですか?」と尋ねてみました。すると返事は「あなたは無知だ。〜」からスタートです(笑)。
「差別をした人間」に対しては差別して良い、という概念がアンティファの方達にはある様です。「拒絶」「対立」「非難」というスタンスですね。少なくとも「対話」「理解」とかでは無いようです。
アンティファの未来
「毒を以て毒を制する」
そういう意味で「極右を抑え込む極左」として、アメリカではその暴力すら容認する人々も一定数いるそうです。その一方で極右と同様にテロ集団とされています。
翻って日本ではどうでしょう?アンティファは立憲民主党と関係が良好な様です。確かに主張は親和性が有りますね。左翼のグローバリストで、正義という大義を掲げれば手段は選ばない。
理屈の上では、彼等は「反差別」の為に存在します。つまり「差別」が小さくなれば、彼等の存在理由も小さくなります。では実際に「差別」がない世界になったら彼等は消滅するのでしょうか?いえ、無くならないでしょう。組織というのは、往往にして自己延命の行動を取ります。つまり「差別」が無くなれば、「差別」を拡大解釈し延命を図るのです。場合によっては「差別」を作り出すかもしれません。
「中庸を知る」というのは大事です。右だの左だの、この御時世に言うのも時代錯誤ですが、極端な思想は「反対方向の思想」を増長させます。
どんな思想の者同士でも、「反差別」と言う事では折り合える可能性が有ります。しかし一方的に誰かを「差別者」と見なし攻撃すれば、和解など有り得ないですよね?そう言う意味でも「反差別」は正しいですが「反差別者」は対立しか生まないのではないでしょうか。
「差別者」ではなく「差別」と向き合う・・・これが大切な気がします。