経世済民

2020年3月25日

私もそうですが反緊縮派の人々の多くが掲げるのは「経世済民」です。これは中国の古典抱朴子以降度々多くの書物に登場します。「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」略して「経済」ですが、現在の狭義な意味での「経済」ではなく、政治や行政などを含んだ広い意味です。一方でアダム・スミスの思考では経済・政治・道徳を別とし、経済は利己的利益の追求を是としています。新自由主義者の方達の根っこですね。道徳や共感という部分は政治がやれば良いと言うのですが、実際には秩序維持や弱者救済など経済抜きには語れないわけです。またリソースをそこへ投入する事に対し、利己的な思考の方々は眉を顰め政治家への圧力を高めるのです。

ナショナリズムを取り戻せ

経世済民の根っこはナショナリズムでしょう。同じ国に生きる者同士の連帯感や共通する意識、共有する目的などが「同じ国民を救う」と云うメンタリティを根付かせるのです。時代の風潮や現在の政治志向は「分断」ですが、「統合」こそが国のあるべき姿だと思うのです。

ワールドカップやオリンピックでは自国を応援し、殊更にナショナリズムを煽る風潮がありますが、他方では沖縄の窮状は放置され、被災地もすぐに他人事として放置されます。

渋沢栄一は「論語と算盤」で経済と道徳は両立させるものである事を説いています。「同胞」と言う言葉はどこか民族主義的で嫌悪感を抱く方も多いでしょうが、「同じ国に生きる者同士が支え合い、より良い国にする」と云うプロジェクトを共有する事が大切だと思うのです。政治にはそれを実現する力があります。

ナショナリズムは宗教や人種、性別、考え方などを超え「同じ国民」と云う共通項で人々を統合します。当然、先の戦争の様に執行部が間違った誘導をすればマイナスの影響を及ぼすわけですが、「マトモな」人物の下に於いては絶大な助けとなるはずです。(まぁ、残念ながら現在はマトモでは無い政権ですが・・・)

「国民=同じ国に暮らす仲間」と考えれば、格差拡大や貧困問題、差別やイジメ、あらゆる方面の事を「じぶんごと」として見る事ができるはずです。今の政治の方向性にも「誰かが犠牲にされていないか?」と疑問を持つはずです。

藁人形

補足しておくと

「国民」と言った時に「在日は日本国民では無い」とか「移民は保護するな」とか言う方が必ず現れます。先程も述べましたが、ナショナリズムは人種を超えた「同じ国に暮らす人々、国民」と言う思想です。「移民は犯罪を犯す」とか「在日は優遇されている」とか、ごく一部の人を取り上げ「分断」を煽るのはどうでしょう。在日や移民の2世3世などは日本で生まれ育ち、日本語しか話せない人も多いわけです。相撲やサッカー、テニスなどでも帰化して、日本を日本人以上に愛する人達もいますよね。

積極的な移民受け入れには反対ですが、ずっとこの国に暮らしているのにルーツが海外と言うだけの理由で「国民」では無いとするのは違和感しか感じません。

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