例えば「若者の患者が入院して人工呼吸器が必要だが、高齢者が使用している。リソースが無いのだから若い人に人工呼吸器を使うべきだ。だが現場に判断させては負担が大きい。政治が決めるべきだ。」大西氏の主張はこういう事です。尤もらしく聞こえる方もいるでしょう。しかし実際に高齢者から人工呼吸器を外すのは誰ですか?政治が決めれば医療従事者の心は痛まないとでも?また法で決まってしまえば、高齢者本人や家族には「生きたい」という言葉を口に出す事にさえバッシングが起こるのは目に見えています。
物ではなく人でも同じです。医療従事者が足りないので、高齢者には治療を諦めて貰う。こんな事を政治が決める事でしょうか?
国には自国民の生命と財産を守るという義務がある事は御存知でしょう。だからこそ死刑制度に反対する人々も多くいるのです。現在の日本で、ここから外れるのは自ら重大な犯罪を犯し死刑判決を受けた人々だけです。ここに「リソースが足りない場合の高齢者」を加える事に、私は違和感しか感じません。
また現実的に法で線引きは不可能だとも思っています。例えば先程の人工呼吸器の例で言うなら、2人が同じ様な年齢・容態であればどうするのでしょう?20歳と40歳だったら?結局、究極的には現場の当事者達で決断するしか無いのだと思います。
政治は、そういった苦しい決断を出来る限り無くす為に、少なくとも人や物のリソース不足にならない事を追求すべきです。政治が介入できるのはそこまでだと思います。もし一歩踏み込めば解釈は拡大されるリスクを常に孕む事となります。「駱駝の鼻」と言うヤツですね。キツイ言い方をするなら、医療現場を政治の意志を具現化するホロコーストに貶めてはならないという事です。
今回、大西氏は除籍となりましたが、私は離党届を受理で良かった気がしています。除籍は双方にとってダメージにしかならない様に感じますし、彼は自身の考えを述べたに過ぎません。それが党の骨格にそぐわなかったのですから、話し合いの上で合意出来なければ離党届を受理で良かったはずです。