政治と命

2020年7月21日

今もSNS上では大西つねき氏の発言について、れいわを支持する人と大西氏を支持する人で意見が割れている様です。今回の件で「れいわ支持を辞める」という人も結構いる様ですね。

私は潔癖では無いので、自分の望む「反緊縮、積極財政、消費税廃止、全国統一最低賃金、生体店頭販売禁止」を掲げる政党を支持するだけなのですが・・・。

何が事態を悪化させた?

大西氏の発言、いわゆる「命の選別」と言われているものですが、まずはこれについて・・・。私はこれは政治家を名乗るなら口にすべきでは無いと思っています。何故か?

「政治家の仕事は、国民の生に積極的に関与する事」

そう思っているからです。個人の死への関与は、政治が自制して距離を取るべき領域だと思います。実際、犯罪者の死刑制度でも賛否が別れます。諸外国を見ても実際死刑が行われている国は下図の赤い国々です。

例えば「若者の患者が入院して人工呼吸器が必要だが、高齢者が使用している。リソースが無いのだから若い人に人工呼吸器を使うべきだ。だが現場に判断させては負担が大きい。政治が決めるべきだ。」大西氏の主張はこういう事です。尤もらしく聞こえる方もいるでしょう。しかし実際に高齢者から人工呼吸器を外すのは誰ですか?政治が決めれば医療従事者の心は痛まないとでも?また法で決まってしまえば、高齢者本人や家族には「生きたい」という言葉を口に出す事にさえバッシングが起こるのは目に見えています。

物ではなく人でも同じです。医療従事者が足りないので、高齢者には治療を諦めて貰う。こんな事を政治が決める事でしょうか?

国には自国民の生命と財産を守るという義務がある事は御存知でしょう。だからこそ死刑制度に反対する人々も多くいるのです。現在の日本で、ここから外れるのは自ら重大な犯罪を犯し死刑判決を受けた人々だけです。ここに「リソースが足りない場合の高齢者」を加える事に、私は違和感しか感じません。

また現実的に法で線引きは不可能だとも思っています。例えば先程の人工呼吸器の例で言うなら、2人が同じ様な年齢・容態であればどうするのでしょう?20歳と40歳だったら?結局、究極的には現場の当事者達で決断するしか無いのだと思います。

政治は、そういった苦しい決断を出来る限り無くす為に、少なくとも人や物のリソース不足にならない事を追求すべきです。政治が介入できるのはそこまでだと思います。もし一歩踏み込めば解釈は拡大されるリスクを常に孕む事となります。「駱駝の鼻」と言うヤツですね。キツイ言い方をするなら、医療現場を政治の意志を具現化するホロコーストに貶めてはならないという事です。

今回、大西氏は除籍となりましたが、私は離党届を受理で良かった気がしています。除籍は双方にとってダメージにしかならない様に感じますし、彼は自身の考えを述べたに過ぎません。それが党の骨格にそぐわなかったのですから、話し合いの上で合意出来なければ離党届を受理で良かったはずです。

死を受け入れる

私は両親の看病と看取りを経験しましたが、やはり最善を尽くしたことで「家族の死」を受け入れる事が出来た気がします。もし「リソースが足りないので諦めて下さい」と言われ家族を失えば受け入れる自信は有りません。

「政治の責任」と言えば聞こえは良いですが、デッドラインを政治が決めるのは責任ある行為ではありませんよ。

医療設備や病床数、薬の確保など緊急時に対応するだけのリダンダンシーを確保させるのは政治が関与できます。医療従事者の待遇改善や労働環境改善も。また介護・看護職員の公務員化も検討の余地は多いにあるでしょう。

「自身の生存を選択できる」事は大切ですし「誰かの意思で生存を脅かされる」事があってはならない。ましてや政治が条件を決めて介入するなどあってはならない事だと思います。

憲法を蔑ろにした議論を、政治家が持ち出すのはやはりおかしいと思います。現政権もそうですが、現行憲法をもう一度隅から隅まで読み返して欲しい。それに反する発言をしている自覚があるのならば、具体的に改憲とセットで訴えれば良い。

最後にもう一度言っておきますが、政治は自国民の「生」の為に全てのエネルギーを注ぐべきで、「死」に積極的に関与するのは政治権力を余りに肥大化させてしまいます。危険を招きます。

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