今回死亡したALS患者の方は何故「死にたい」と思ったのでしょう。病気に絶望し死にたくなると言うのは、ある意味自然な感情ではあります。しかしそれ以上に患者を追い詰めるのは、社会に居場所が無くなる事ではないでしょうか。「周りに負担を掛けるだけだ」「誰からも必要とされていない」「国の負担を受ける事が後ろめたい」など、そんな事を感じさせる社会の在り方こそが変える必要があります。
誰もが高齢者になり、誰もが障害者や重病患者になる可能性がある。もしそうなった時に「”迷惑だから死にたい”とか”希望も無いから死にたい”と思わせる社会」と、「どんな状況になっても社会の一員として受け入れてくれる社会」では積極的安楽死を希望する人の数は雲泥の差があると思います。
「緊縮財政は人を殺す」と言われますが、「財源は税」と言う正しく無い知識が相模原事件のキッカケであり、先日の大西氏の件も医療のリソース不足がキッカケでした。今回の安楽死問題もそうですが、まず優先すべきは「財源問題など無い」「財源は税では無く国債発行である」と言う事実を、国民が理解する事です。それだけで「税金を払っていないくせに」とか「税金で飯食って」みたいな発言がどれだけ的外れな事かわかるし、「同じ国民なんだから」という連帯感、ナショナリズムが生まれて来ます。これを醸成させる事が、「死にたくなる社会」を「生きていたい社会」へ変える唯一の道では無いかと私は思っています。