• 木. 11月 21st, 2024

こんなニュースこんなニュースが最近よく並びます。大半の国民が「緊急事態宣言」の下、長らく自粛生活を強いられ「盆・正月の帰省」「修学旅行」「会食」はおろか日常の不要不急の外出すら抑制している中、政府や行政の会食は相次いで発覚し更にはオリンピック開催に異論は認めないスタンスです。国民に対し(ふざけたマスクと)渋々1回ぽっきり10万円を給付したきりの政府が、オリンピックにはえらく御執心です。

オリンピックは守銭奴の祭典

当初、政府の側につき人流での感染拡大を否定しGoToトラベルを肯定していた尾身氏も、流石に医療の逼迫度合いや多大な実害に耐えきれなくなったのか、政府と袖を分かつ発言が増えてきました。まぁ良心があれば普通はそうなります。ですがIOCやJOC、経団連、自民党、そして竹中氏などは「中止の議論」すらあってはならないと言うスタンスです。「人の命をリスクに晒しても開催する平和の祭典」とは何なのでしょう?

現在もボランティアの辞退が相次いでいます。当然ですよね、同じ作業をしてパソナ経由でバイトとして入った人には高い時給が払われるわけですから。しかも竹中氏のパソナの問題や東急エージェンシーの日給40万とも80万とも言われる日当問題では、その殆どが中抜きである事も白日の下に晒されてしまいました。

JOCが東京オリンピックの為と称し自分たちの報酬や経費に費やした額も凄まじいものがあります。所謂平時であれば守銭奴による守銭奴の大会でも成立するのでしょうが、今回のような非常時に「一部の利権者」の為に「多くの国民」がリスクに晒される事を、政府が主導する姿勢には恐ろしさを感じます。

よく「努力したアスリートの為に開催すべき」といった他人を利用し感情に訴える人達がいますが、逆に自分の家族が感染し入院も出来ない状況でも「オリンピックに医療のリソースを割け」と言うのでしょうか?もっと言うならもし選手や大会関係者が感染した場合、入院の順番待ちをする日本国民の最後尾に並ぶのでしょうか?いいえ政府与党の議員でも見たじゃないですか、特権で割り込むだけですよ。押し退けられて亡くなる同国民をこれ以上見たいですか?

砂漠の水の話

砂漠で水を持った商人がいます。そこに2人の遭難者(AとB)がやってきます。

Aは「食糧と飲水はあるんだが、靴が汚れたから洗う為に幾らでも出すから水を売ってくれ」と言い、

Bは「昨日から水を飲んでいない、死にそうだ。100円しか持っていないのだが水を分けてくれないか?」と言います。

商人としては高く売ったほうが儲かるわけですからAに売るでしょう。しかし政府ではどうでしょう?大前提として政府は自国民の生命財産を守らなければならないので、利害ではなくそもそもBの命を救う努力をする必要があります。

「Bは今水を与えなくても死なないかもしれないし、死ねば自己責任です。それよりもAの汚れた靴が綺麗になる様を見たくはありませんか?」と言っている様なサイコな状況なのですよ、我が国は。つまり社会正義よりも利権が勝っている状態です。特にここ10年程は顕著です。

利権にドップリ浸かった連中が目を閉じて、崖に向かって猪突猛進なのは解りますが、一般の国民で「政府の国民に対する安全の放棄」を受け入れてしまっている人達は、一体どんな社会を望んでいるのでしょう。

例えるなら薬物まみれでイカれた奴が運転するバスに乗っているのに、一緒になって薬物を欲するなんてどうかしています。

もうオリンピックの様な商業イベントで感動を演出するのは終わりにして頂きたい。

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