映画「ひろしま」のミカタ

2019年8月7日

昨日8/6は広島に原爆が投下された日です。

今朝NHKのニュースで、1953年の映画「ひろしま」がやっと国内で上映される様になったと伝えていました。この映画、実際に被爆された方々も制作に参加され、歴史伝承の上で非常に価値のある作品です。1955年にはベルリン映画祭長編映画賞も受賞しています。ん?ベルリン映画祭?1955年?国内では最近上映される様になったんですよね?

実は日本では、「反米的」として政府が上映禁止にしていました。時の総理は「吉田茂」麻生太郎のお爺さんですね。因みに上映禁止の表向きの理由は「松竹がGHQに配慮して」だそうです。

吉田茂については、諸外国に対し強気の姿勢を取っていた事で評価されている向きもあります。確かに今の政治屋に比べると、格段に政治家然としています。しかし彼はあまりにGHQや英米と近すぎました。彼らに守られていたと見た方が自然でしょう。ココが現在も続く「従米」の歴史の始まりとも言えるでしょう。

今朝のニュースで秀逸だったのは、コレに前後する形で「ボリビアが核兵器禁止条約批准。日本は未だ批准せず。」というニュースを流していた点です。世界で唯一の核兵器被害国が、世界一の核兵器保有国(唯一の核兵器加害国)と共に「核兵器禁止条約は役に立たない」と切って捨てる滑稽さ。戦後70年、アメリカ従属を貫きこの先もそれを変えないと明白に表明している政府が、「戦後レジームからの脱却」を叫ぶというダブルバインド。

このご時世です。美学や哲学を持たない日本人も増え、核廃絶を叫べば「それじゃ国を守れない」と考える短絡的な人が多数派なのでしょう。トランプが銃乱射事件に対し「良い人間も銃を持っていれば反撃できた」という趣旨の発言をします。コレを肯定的に捉える日本人が増えてしまったという事なのでしょうね、私は賛同できないですが。

はっきり言えば「襲われるのではないか?」という恐怖心が武装を正当化し、その武装を見た周りの人は「武装した人がいる。この人に襲われるんじゃないか?」と恐怖心を抱き同じ様に武装する。結局、この思考プロセスは「臆病のバロメーター」とも言えるのだと思います。

例えば憲法9条について「戦争を否定した憲法なんて、世界中に99ヶ国だの150ヶ国だのある。だから改正したって問題ない。」とか「国連憲章にも書いてあるから9条無くてもよくない?」などと言って、したり顔をする無知な方が見受けられますが、コレらの国が第2次大戦以降戦争に参加していないでしょうか?現実を見ましょう。日本の憲法9条は、実は財政法4条、5条によって鍵がかけられています。戦争には戦費が必要です。しかし財政法の縛りによって政府が支出をする事自体を禁止しているのです。戦争しようにも金欠です。

コレは200km/hで走れる車に乗って「法定速度80kmを守ります」と言っても、いざとなればスピード違反できますよね。でもその車にリミッターを装着して80km/hしか出せなくしたらどうですか?そういう事です。

残念な事ですが、世界的な流れに身を任せて「外交的努力」や「外交的解決」を放棄した様な、政治の動向には強い危機感を抱きます。「自分の平和を維持する為には武装だ」というロジック。コレはまさにグローバリズムの本質で「今だけ、金だけ、自分だけ」に立脚した抗弁です。自衛を超えた行為を行えば、それは「憎しみ」を産み負の連鎖に繋がります。いい加減この「3だけ」から抜け出して欲しいですね。