群集心理のミカタ〜大衆と孤独

2019年8月19日

アビリーンのパラドックス

哲学者オルテガはこう言いました。

「大衆とは無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々のことである」

なぜ大衆はこうなってしまうのでしょう?

それは孤独だからです。自由を手にした代償に自分のルーツから離れ、伝統的価値や秩序、しきたり、道徳心などが希薄になり、寂しい故に大衆の流れに身をまかせるのです。そこから弾き出されないように。バンドワゴン現象です。各人がこう思う時、集団極性化が起こり大きく間違った方向へ行きがちです。

よく「私は個性的だから違う」などと勘違いする方がいますが、周囲との比較で個性的と思っている時点ですでに、大衆の中のポジション争いに参加しているに過ぎないのです。

本当に個性的であるならば、主義主張の違う大衆に迎合するのはおかしいですよね?なぜその中に居続けるのでしょう。

1人1人が「少数派」になる事を恐れるあまり、誰も本心を言えず「今までと同じ」を選んでしまう。その結果、誰も望んでいない方向へ進んでしまう。「アビリーンのパラドックス」です。

権力への屈服

大衆の傾向は他にもあります。

フランスの社会学者ギュスターヴの言葉

「大衆は弱い権力には常に反抗しようとするが、強い権力には卑屈に屈服する」

大衆は自我があまりに未成熟なため、非常に権威主義的です。権威主義的というのは、肩書きや規模の大きさを判断基準にし、言動や主義主張自体に目を向けない事ですね。つまり野党叩きや沖縄叩き、在日ヘイト、などを正当化し与党バンザーイと言ってる様な人たちのことです。

ヒトラーが「我が闘争」で書いた(※実際はギュスターヴのパクリですが)様に、「大衆は簡単に他人の指示に従う、暗示にかかりやすい自動人間となる」というのはまさにこれです。

全く同じ人間はいない・・・当たり前のことです。自ら思考していれば、「この問題はこっちが同意できる」「これはあっちが正しいな」と事案毎に支持する対象が変わるのが正常な反応です。

センメルヴェイス反射

あなたはちゃんと「NO」と言えますか?

人は集団の中にいると、その中の多数派の意見に追従してしまう傾向にあります。これは脳科学の実験で証明されていますが、「人は集団内で異なる意見を言うと、脳に強いストレスを受ける」そうです。特に日本人はこの傾向が強いのだそうです。

「赤信号、みんなで渡れば怖く無い」ってやつです。

間違っていると分かっていても、みんながやるから自分もやる。言葉にすると「思考停止」です。「思考放棄」と言った方が近いでしょうか・・・。

「地動説」のガリレオを見てみましょう。彼は当時の常識であった「天動説」にNOを突きつけ、「地動説」を訴えました。しかし大多数の人間が「異端」と呼び、糾弾しました。いわゆるセンメルヴェイス反射です。多数派とは異なる新しい意見を拒絶する反応ですね。

昨今の世論調査を見ていつも感じるのは、20年デフレを続けても、公文書の改竄をしても、利益供与をしても、強行採決をしても、民主主義を放棄しても、それでも政府支持率があまり変わらないと言う異常さです。これこそまさに「善」より「全」という思考の現れなのでしょうか。それとも「選択の放棄」?

 

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