優生思想は欧米の話と感じるかもしれませんが、日本でもそういう思想の人達は増えています。残念ながら。
記憶に新しいところでは「相模原障害者施設殺傷事件」などは優生思想そのものです。この事件の犯人は「生産性の無い人間は生きる価値がない」などと主張し続けています。ネット上ではコレに賛同する人達が一定数いた事で、今の社会がどれだけ生き辛いか表面化した様に見えます。これは虐められない為には、自分が誰かを虐めれば良いという発想でしかないのですよ。権力や不正義に抗う勇気を持てない人が増えてしまったとも言えます。
「生産性の無い人間は・・・」という言葉は、その言葉を発した人間が自身の「幼少期」や「老年期」、言い換えれば自身の「過去」と「未来」を否定している事にもなります。今の自分だけを見て物事を判断するのはあまりに愚かです。
想像してみましょう。
例えば自分が事故に遭いかけた時、身代わりとなり救ってくれた人がいたとします。その人は大怪我をし障碍者となりました。この人は「生きる価値」が無いのでしょうか?
あるいは自分の親が年を取り車椅子になったら殺すのでしょうか?おかしいと思いませんか。人の命の選別をする権利など誰にも無いのですよ。
日本人の生活保護需給率の低さも「生産性思考」に根があるのかもしれません。勿論、役所が拒否しているのも有りますが、資格があり食うに困っていても周りの目を気にしたり「税金の世話になるのは・・・」と餓死や犯罪を選ぶ人までいます。間違った貨幣観の問題も勿論有りますが、経済的困窮者への差別もあるのではないでしょうか。少年達がホームレスを殺害したり、在日の方達への誹謗中傷なども聞こえてきますよね。こうした差別に対して「声を上げる」という事を辞めれば、差別はより過激な方向へ向かいます。
誰もが「明日、自分が差別される側に立つかもしれない」と想像できていれば、もう少しだけ生き易い社会になるのではないでしょうか。