Youtubeで大西つねき氏の発言を支持し、山本太郎氏の対応を批判されている方を見かけました。人それぞれ考え方は有りますし、多様な考え方は否定しませんが、少々恐い考えだなと思いました。
その方は「命より大切な物はある。命が大事なんて言うのは未熟な人」「皆、老人になる可能性があるのだからこれは優生思想の話ではない」「哲学ではこんなのは常識」という類の話をされていました。
まず「命より大切な物はある」というのは良く言われますが、この「命」は「自分の命」であって「他人の命」ではないという部分が欠落しています。具体的に言えば「呼吸器が不足しているのなら私の呼吸器を外し、若い患者に使ってくれ」は成立しますが、「呼吸器が不足しているからあなたの呼吸器を外します」は議論のある所ではないでしょうか。そもそも「命より大切な物」と言う言い回し自体「一般に一番大切な物として認識されている物」の代表として「命」を比較対象に挙げてるわけで、「命も大切」である事に変わりはないのですよ。「もっと美味しい店があるのに、この店を美味しいと言うのは未熟だ」と言ってるのと同じです。
「黒人が白人になる事は無いが、皆老人になる可能性があるからこれは優生思想の話ではない」と言うのも机上の空論ならそうでしょうが、現実には皆「受動的に障害者」になる事もあれば「自発的にユダヤ人」になる事も「自発的に異性」になる事もあるわけです。つまり可能性の有る無しではないのですよ。「老人になったら介護によって若者の時間を奪うべきではない」と主張されていましたが、「老人」を「障害者」に置き換えたら理解しやすいでしょう。相模原事件と同じですよ。
今回炎上した発言を、多くの人が「優生思想的」と言っているのは、「ある人やある集団が決めた条件によって他人の命の選別をする事」は軽々に発言されるべきでは無いと言う当たり前の話です。