• 木. 11月 21st, 2024

昨日から大西つねき氏の動画内での発言が物議を醸しています。発言内容をザックリ言うと「リソースは有限なのだから、若者の時間を守る為には老人の介護を諦める必要がある。」という様な趣旨だったかと思います。

私は大西氏の立ち上げていたフェア党の理念が何と無く好きだったので、今回の発言には少々驚きました。正直「楢山節考ですか?」と思った次第です。実際、口減らしと同じですからね。

批判が噴出する中、所属政党の党首山本太郎氏は「優生思想的な発言は党の理念に照らし合わせても看過できない。専門家のレクチャーを公開で受けて貰いその後処分を決定する」旨の声明を発表しています。コレは妥当な決定に見えます。何故ならもしコレをクローズドで党から排籍して終わらせれば、大西氏は考えを改める機会を失いますし、社会もまた「大西氏個人の問題」として片付けてしまいます。現実には「相模原事件」と同じで「障害者<健常者」や「老人<若者」の様な勝手な妄想が、社会に拡がりつつある事は皆さんぼんやりとでも感じているのではないでしょうか?

今回の件は「れいわ新選組」と言う国政政党にとっては非常に大きな痛手です。しかし党の痛手を耐えてでも「優生思想的な風潮が社会に拡がっている事を、共有し変えていきたい」と言う明確な姿勢を見せるべきだと思います。「個人の問題」ではなく「社会が抱える問題」で有り、その背景にある問題の本質に踏み込む良い契機に出来れば良いのではないでしょうか。

リベラルの矛盾

以前読んだ記事で「ポジティブ優生思想」と言うのが有りました。リベラルの方達は「差別は反対しながら、このポジティブ優生思想は抵抗がない」という記事でしたが、確かに自由や権利を主張する奥行きは個人差が有ります。元々の優生学はより良い遺伝子を残す物ですが、優生思想としては遺伝子を選別し良い遺伝子のみ残していく。その為に劣った遺伝子の排除は正当化される危険性が高いのです。因みにポジティブ優生思想の代表例は「精子バンク」です。遺伝子選別その物ですがスルッと受け入れてしまう人もいるのでは?

Youtubeで大西つねき氏の発言を支持し、山本太郎氏の対応を批判されている方を見かけました。人それぞれ考え方は有りますし、多様な考え方は否定しませんが、少々恐い考えだなと思いました。

その方は「命より大切な物はある。命が大事なんて言うのは未熟な人」「皆、老人になる可能性があるのだからこれは優生思想の話ではない」「哲学ではこんなのは常識」という類の話をされていました。

まず「命より大切な物はある」というのは良く言われますが、この「命」は「自分の命」であって「他人の命」ではないという部分が欠落しています。具体的に言えば「呼吸器が不足しているのなら私の呼吸器を外し、若い患者に使ってくれ」は成立しますが、「呼吸器が不足しているからあなたの呼吸器を外します」は議論のある所ではないでしょうか。そもそも「命より大切な物」と言う言い回し自体「一般に一番大切な物として認識されている物」の代表として「命」を比較対象に挙げてるわけで、「命も大切」である事に変わりはないのですよ。「もっと美味しい店があるのに、この店を美味しいと言うのは未熟だ」と言ってるのと同じです。

「黒人が白人になる事は無いが、皆老人になる可能性があるからこれは優生思想の話ではない」と言うのも机上の空論ならそうでしょうが、現実には皆「受動的に障害者」になる事もあれば「自発的にユダヤ人」になる事も「自発的に異性」になる事もあるわけです。つまり可能性の有る無しではないのですよ。「老人になったら介護によって若者の時間を奪うべきではない」と主張されていましたが、「老人」を「障害者」に置き換えたら理解しやすいでしょう。相模原事件と同じですよ。

今回炎上した発言を、多くの人が「優生思想的」と言っているのは、「ある人やある集団が決めた条件によって他人の命の選別をする事」は軽々に発言されるべきでは無いと言う当たり前の話です。

現実に落とし込むには

実際北欧などでは特に、大西氏の発言の様に老人や不治の病に対しリソースを割くことを放棄する傾向が有ります。このキーワードは「リソース」です。つまり物資やマンパワーの不足で命の選別をせざるを得ないという事です。

翻って日本はどうでしょう?緊縮財政の中、医療に割くリソースは意図的に減らされています。しかしこれは政治的な判断によってジリ貧にされているだけです。そもそもリソースにゆとりがあれば選別などする必要性は無いのです。介護職員の公務員化などまで含めたシステムを構築すれば「命の選別」と言う話自体話題にならないでしょう。緊縮を辞めなければ、この先も失くさなくて良い命を多く失う事になります。

国家は国民の生命と財産を守る義務を負っています。優生思想はその対象を「国民」から「誰かが決めた条件に合う国民」へと狭める思想です。こんな物が罷り通る社会に、母国がなって欲しくは無いと改めて思った出来事でした。

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