ミャンマーの国軍は自分達こそ「愛国者」だと言っています。自国民の生活を壊し、生命を奪い、権利や自由をも奪う行為のどこを「愛国」と呼ぶのでしょうか?世界的に似非愛国者が勢力を増していますが日本を翻ってみると・・・目に見える軍事力や暴力ではなく、もっと陰湿に締め付けてきます。税や法律を外資や財界、一部の富裕層の為に改悪し、零れ落ちた人や声をあげた人々を自死に追いやり、多様性にはヘイトと嘘をぶつける。政府や似非愛国者の連中が日常的に行っています。彼等は自分達こそ「愛国者」だと錯覚しています。実態はルーツをそのまま受け容れる事が出来ない臆病な人間です。自虐史観に陥る必要はありませんが、物事には表と裏がありその両面を受け容れない限り前には進まないのです。
悪い面は受け容れない
それは清濁併せ吞む度量がその人に無いだけの話です。ひたすら「日本、すごい」「世界の中で日本は特別だ」などと言ってる内は、今眼前で起きているように世界から取り残されて行くだけなのですよ。例えば「謙虚」というのは日本の文化的特徴であり、日本人のアイデンティティを形成する重要なファクターだったはずです。それすら捨てる意味がどこにあるのでしょうか、言葉にすれば「脱日本人化」ですよ。もっと自国に対しプライドを持っても良いのでは無いでしょうか。本当にプライドがあれば自国の負の部分にも真っ直ぐ向き合えるはずです。
似非愛国者はルーツを脚色する事に夢中で、結果的に嘘に嘘を重ねます。他の意見を排除する事に積極的という特徴も有ります。言うまでもなく「愛国」に仮想敵など必要有りません。ただただ自国を愛し、歴史を知り、叱咤激励し、政府が間違った方向へ進まない様に厳しい目で見て発言する事が「愛国」だと思います。
「政府」は国という船を操舵する船員であり「国」という船そのものではありません。もっと言うなら「国」とは「国民」だと考えた方が正しいくらいです。
似非愛国者は政府批判には常に及び腰で、結果的にその行動は「売国者」のそれと同じになります。まぁ政府自体が異なる意見を持つ自国民に対し「あんな人達」という発言をしてしまうくらいですから、自国の分断こそが至高だとでも思っているのでしょうか。
愛国心の履き違えが蔓延すれば「国」は没落の一途を辿るだけです。特にこの10年を冷静に振り返れば誰でも気付くはずです。Youtubeには既に似非愛国者の動画が溢れていますが、せめて若い世代がこんな馬鹿げた動画を鼻で笑う様な世代に育って欲しい。世代交代が唯一の希望だと思うおじさんの願いです。